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三曲合奏 吾妻獅子

大坂長堀の平又 作詞 峰崎勾当 作曲


〽昔より、言ひ慣らはせし、東下りのまめ男、慕ふ旅路や松ヶ枝の、(合)

富士の高根に白妙の、(合)花の姿に吉原訛り、君が身に添ふ牡丹に馴れて、

己が富貴の花とのみ、弥猛心も憎からず、(合)

思ひ思ふ千代までも、情けに(合)交はす後朝に、(合)糸竹の乱れ髪、(合)

歌ふ恋路や露添ふ春も、呉竹の、かざす扇にうつす曲。

(手事)

〽花やかに、乱れ乱るる妹背の道も、獅子の遊びて幾世まで、(合)

変はらぬ色やめでたけれ。


地歌「吾妻獅子」(「東獅子」とも。)は、十八世紀末に大坂で活躍した峰崎勾当の作曲による、手事物(器楽部分である手事に主眼が置かれた作品)です。峰崎勾当は端歌物の名曲「ゆき」のほか、手事物の名曲「越後獅子」など、数々の作曲により手事物を完成させた、大坂を代表する作曲家です。

内容は、上方の風流男が在原業平の東下りを気取って江戸に下り、気位の高い吉原の遊女と馴染んで後朝の別れを惜しみ、扇をかざして獅子舞を舞うというものです。獅子の狂いに恋の狂いをかけて、華やかな手事を聴かせるねらいがあります。手事の途中から三絃は調絃を二上りに転じます。

手事は、先行作品の佐山検校作曲「三段獅子」と合奏したり、砧地で伴奏できるように作られています。

石川勾当手付の三絃替手のほか、箏の手も派により様々につけられていて、様々な合奏が可能ですが、今回は三絃本手、箏、胡弓による三曲合奏でお聴き下さい。

現在、三曲合奏といえば三味線・箏に尺八が加わる合奏形態が主流ですが、明治以前は尺八ではなく胡弓を用いるのが本来の三曲合奏の姿でした。

胡弓の手付は、名古屋で明治から昭和にかけて活躍した佐藤正和によるもので、非常に精妙な技巧が尽くされています。


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